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トップ  >  病気・養生・その他  >  脚気にまつわる逸話

かつて日本の国民を苦しめた疫病に結核、ハンセン氏病があり、近年ではエイズもありますが、脚気も重大な疫病であったと指摘する医師もいます。日本国民が脚気の苦渋を体験したのは日清、日露の両戦争で、戦場の兵士が脚気で大量に倒れ、死亡した悲劇がそれを物語っています。日清戦争の派兵は第一軍(朝鮮)、第二軍(清国)、第三軍(台湾)で、第一、二軍に比べて白米に食料支給が最も多く粟、豆など副食物に欠けていました。第三軍の出動兵は5人に一人が脚気に倒れて白米食の欠陥は軍の内部で大問題になりました。しかし白米有利説の軍部上層部に押し切られました。
10年後の日露戦争では戦死者が4万7千名出ましたが、脚気患者は戦死者を大きく上回って21万1千6百名、脚気死者が2万7千8百名も出てしまいました。これを「世界の歴史で古今東西に類例を見ない戦慄さ」と痛恨に語った記録があります。日本陸軍の脚気の悲惨さを克明に記録した「白い航跡」吉村昭著です。何万の将兵が戦場で犬死といえる悲劇におちいっていった責任者は日本陸軍最高司令官と陸軍軍医総監でした。彼らは戦場の将兵の戦闘力を強化するための最高策は白米食であると誤った判断をして全将兵に白米食を強制したのが悲劇を広げました。

ビタミンB1は玄米の胚芽、つまり糠の中に含まれています。玄米を精白して糠を取り去った白米はビタミンB1を全く欠如しているのです。戦場では副食物や野菜がきわめて乏しく白米食だけではビタミンB1の摂取は皆無に近い状態でした。このために何十万人の将兵が短期間のうちに脚気で倒れていきました。しかし、それでもなお陸軍の最高司令官と軍医総監は脚気細菌が原因であると過信していました。その中心人物が軍医副総監森林太郎(森鴎外)でした。
森は脚気の原因は細菌であると信じて脚気細菌説に徹底して固執していました。森はドイツに留学し最新医学を学んできましたが、当時のドイツ医学はペスト、コレラ、チフス、結核やマラリア原虫を次々と発見してヨーロッパ医学の中心になっていた時代です。そのドイツ医学を習得して帰国した森林太郎が脚気の病因は細菌だと細菌説を言い出し、これに固執したのです。彼の説を疑うものは陸軍上層部には誰一人としていませんでした。ところが陸軍の悲劇とは対照的に日本海軍は脚気細菌説と正面から対立していたのです。

脚気の原因は食べ物の中にあると食物原因説を主張したのは海軍軍医副総監高木兼寛で、彼は森の細菌説と対決してひるみませんでした。高木は英国に留学して最新の臨床内科医学の研究を学んで帰国していました。しかし、脚気細菌説は当時の日本医学の中心主流であり、この主流から見離された高木兼寛の不運は続くことになり、彼の偉大な業績と名誉が認められたのは彼の死後でした。
ライバルの森林太郎は脚気細菌説を終始固持し続けました。彼は森鴎外の筆名で文学界に名作を多数残しています。それほどの人物が自説をなぜ頑固に貫いたのでしょう。森はドイツ留学中にドイツ人の食事が肉、パン、バター、ミルクであり、これらの高カロリーで高栄養分の食べ物がドイツ軍将兵の頑丈な体格と体力を作り出しているのを見てきました。これに比べて野菜食の日本人の体格は貧弱でした。まして日本の農村青年は麦や雑穀が主食で白米食を食べるほど豊かではありませんでした。森はこの貧弱な体力の農村青年を急速に体力強化して戦場に送り出すためには白米食より他に無いと考えたのです。

人が健全に生きるために必要な栄養分はタンパク質、糖質、脂肪が主体ですが、さらに微量で必需なビタミンの重要性を日本人はまだ未知の時代で、白米食にはビタミンB1が欠如している致命的な欠陥があることを当時は知りませんでした。
この問題では中国と日本の脚気の歴史で考えてみる必要があります。今から千四百年昔の中国南北朝のとき、武帝が南京籠城で全将兵と餓死したという悲劇があります。そのとき籠城の将兵中に医学に明るかった者が書き残した記録に「城内に貯蔵した穀物が枯渇した。その後に両脚が麻痺する病人が続出し、病人は全員死んだ。これは脚気病でありその原因は穀物の中にある」と指摘していました。日本でも日清、日露の戦争のとき脚気の病因を漢方医学に学ぶべきとの意見が出ていました。脚気専門の漢方医遠田澄庵の報告に「脚気はその原、米にあり」と書いているのを高木兼寛は注目して知っていました。しかし現実には漢方医学の前に強固な壁がさえぎっていました。それは漢方医学を国民の医療から廃止する国会法案が成立していたからです。明治27年(1894)第八通常国会で漢方医学の存続決議案は存続に賛成78票、反対105票で否決されていました。

のちに鈴木梅太郎が明治41年(1917)に米の糠からビタミンB1を発見しても、日本から脚気が消滅するのにまだ数十年もあとになり、太平洋戦争の敗戦後にようやく途絶えました。

脚気の細菌説は否定され、食べ物説によって解決しました。しかし、脚気の解決は完全解決ではないままに今も問題を残していて「ビタミンを飲めば元気になる」という信仰もその一つといえます。
また、生活習慣病という新しい犯人は細菌やビタミンのような少数派ではなく、犯人の数は計りしれないのです。これらの敵を迎え撃つのは薬ではなく食べ物であることを私たちは忘れてはならないのです。 (参考:和漢薬597号)
 

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