ホーム
2017年6月26日(月)11時05分ホーム
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
漢方薬その他の情報
スマイルアイコン
多汗症トラックバック
オンライン状況
7 人のユーザが現在オンラインです。 (6 人のユーザが My Blog を参照しています。)

登録ユーザ: 0
ゲスト: 7

もっと...

2017年3月23日(木曜日)

年度末の工事

毎朝のウォーキング時にはいくつかの公園横を通るのですが、その中で一番小さな公園の遊具が数週間前に取り払われ、周囲が柵で覆われてしまいました。

 

その光景を初めて見た際には、

「あまり利用者ないから潰されたのか」と思ったのですが、

数日後に立て札が立ち、その立て札には公園の整備と遊具の交換をするというような事が書かれていました。

「潰されたのか」と思った理由は、娘がその公園のすぐ近くに住んでいて、

「子供達が遊んでいる様子を見たことがない」と言っていたためです。

その後、公園の土が掘り返され樹の枝が剪定されましたが、まだ遊具は置かれていません。

 

あまり利用されていない公園ですから、潰されたのではなく整備と知って最初に思ったことは、「年度末だから予算を使うため?」ということでした。

それで年度末の工事が気になってネット検索したところ、年度末に工事が多いのは予算を使い切るためではないということがわかりました。

年度末の道路工事が多い理由

 

いくつかのページを読みましたが、ほぼ同じように書かれていました。

その理由には、次のような仕組みがあったのです。

調べてみて分かったのですが、地方公共団体が道路工事を発注するのはその年度の5月頃からだそうです。
4月の段階では予算をどういった形で運用するかの話し合いなどにあて、決定した事項に従って道路工事の入札を開始します。
なぜ年度の早い段階で発注をかけるのかというと、談合防止のために入札方式が複雑化しており、契約までの時間がかかるためだそうです。

地方公共団体の入札方式で行くと、契約は秋ごろになり、測量や現地調査を終わらせて着工するのは冬になってしまいます。
もうお分かりですね。
年度末に道路工事が増えるのではなく、年度末にならないと道路工事に着工できないのです。

 

今までずっと、「年度末の道路工事は予算を使い切るため」と思っていたのですが、今回のことで勘違いだったとわかりました。

公園のことが無ければ調べることもなく、年度末の工事は「税金の無駄遣い」と思っていたはずなので、きっかけがあって良かったです。

役所の仕事に関しては疑問が多いのですが、一つの疑問が解けて少し気分が良くなりました

 

2017年3月22日(水曜日)

再び震災のこと

先日、ライフラインを復旧した人たちという投稿をしましたが、昨日、そのページの下段にリンクされていた次の記事を見つけました。

書きかけてやめた、福島のことを、もう一度

 

記事は震災の一年後に書かれたものです。

愛する家族を津波に奪われた方たちの思いに、私は読みながら涙が止まらなくなってしまいました。

 

こう言っちゃ、なんだけど、ぼくはね‥‥生きたいとは思わない。
長生きしたいとも思わない。
かといって、自分で、子どもたちのところに行きたくて、死のうとも思わない。
それは、やっぱり、悪くて、できない。

だから、ずっとね‥‥
自分の寿命が来るのを待ってる。

たとえば、それが5年後なのか、10年後なのか、20年後なのかわかんないけど‥‥
それは、黙って、やっていく人生。
で、寿命が来たら、笑って死んでやる、って思ってる。
子どもたちに、会えるからね。

だから、なんだろう、立ち直るってことは、ないんじゃないかなって、やっぱり、思うんですよね

 

子供を亡くした親の言葉が胸に刺さるように感じました。

 

糸井重里さんは、次の言葉を繰り返したそうです。

どうか、ご自分を責めないでください

 

それを聞いて、筆者は次のように書いています。

しばしば、ぼくらは、ことばを失う。
あの震災の日以降、とりわけ、ことばを失う場面が増えた。
もしかするとそれを「慣れた」と言いかえることもできるかもしれない。

言うべきことばがない。
言うべき立場にない。
言うべきこたえがない。

でも、胸の中に、なにか、言いたいかたまりがあったら、できるだけ、それを追い求める自分でありたい。
目の前に悲しんでいる人がいたら、心から思ったことを、言える自分でいたい。
ことばを失うことに、慣れたくはない。

 

記事を書いた筆者には、書くことへの葛藤があった事も記しています。

すごく悲しい話を、そのまま書いていいものだろうか。
読んだ人を悲しい気持ちにさせて、どうしようというのだろうか。

 

また、次のようにも書いています。

しかし、あるとき、ふと思った。
「書かないほうがいい理由」が山ほどあるからこそ、書いたほうがいい、と。

そうでないと、ぼくらはことばを失うばかりである。
口をつぐんだほうがいい場面がどんどん増えていく。
真剣に考えたすえにことばを飲みこむ沈黙ではなく、「無難な沈黙」「先送りする沈黙」だらけになってしまう。

 

何度も書くのを止めて、そして絞り出すようにして書いた記事だと感じました。

それで、ようやく、ここまで書くことができた。
書きかけて、何度も書きかけてはやめた話を、ようやく最後まで書くことができた。

 

筆者の思いが胸に深く残りました。

 

2017年3月21日(火曜日)

地下鉄サリンから22年

昨日3月20日は、22年前に地下鉄サリン事件が起きた日でしたね。

 

wikipediaには、地下鉄サリン事件のことが次のように書かれています。

1995年(平成7年)3月20日午前8時ごろ、東京都内の帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄(東京メトロ)、以下営団地下鉄)丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の地下鉄車内で、化学兵器として使用される神経ガスサリンが散布され、乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は約6,300人とされる。日本において、当時戦後最大級の無差別殺人行為であるとともに1994年(平成6年)に発生したテロ事件である松本サリン事件に続き、大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として、全世界に衝撃を与え、世界中の治安関係者を震撼させた。

 

22年前の3月20日は、確か土曜日だったと思います。

なぜ土曜日だと覚えているかと言いますと、当時中学生だった娘が日比谷線を利用して通学していて、土曜日が休校だったために事件の影響を受けずに済み、「もしも平日だったら」とゾッとする思いをした記憶があるためです。

 

昨日、次の記事を読みました。

彼はどのようにして地下鉄サリンの実行犯になったか

 

記事は、ジャーナリストの江川紹子さんが書いたものです。

22年目の3月20日を迎えた。

あの日に起きた地下鉄サリン事件によって、13人が死亡、6000人以上がサリン中毒となった。中には重症に陥り、今も重篤な後遺症に苦しむ被害者もいる。

 

江川さんの記事は、「生きる意味」を履き違えてしまい、死刑囚となった実行犯の一人、広瀬健一に焦点を当てたものです。

優秀な若者が死刑囚となってしまうまでの経緯に重苦しい思いを感じつつ記事を読みましたが、最後の文面が心に深く残りました。

「生きる意味」を求めていたはずが、カルト性の高い組織に関わり、人生を台無しにし、テロリズムに走るなどして他者にも被害を及ぼす――そんな人が少しでも減って欲しい。そのためにも、オウムの事件を、変な価値観を持った変な連中がしでかしたとんでもない事件というだけに終わらせず、とりわけ通常では考えられない重大事件に関わった死刑囚たちから、もっと教訓を学ぶ機会が欲しい、と思う。

 

遺族の方々、そして未だにサリンの後遺症で苦しむ方々の心が、少しでも安らぐことを祈らずにはいられませんでした。

 

2017年3月20日(月曜日)

改修終了?

先週の火曜日、改修中のはずの交番に何も変化が無いと書きましたが、昨日通った際、改修お知らせの張り紙通り先月20日から設置されていた柵が取り払われていて、改修の張り紙も無くなっていました。

2017/ 3/19 10:05

 

外見からは改修前と変化が無く、中を覗いた際に見えた机も改修前と同じ使い古された感のあるスチール机があるだけで変わり映えしていませんでした。

 

改修のお知らせでは、2月20日から3月23日までが改修期間とされて交番は閉鎖されるとなっていましたが、警察官の姿は見えなかったものの、昨日の外観では閉鎖は解かれているようでした。

改修前も警察官は外から覗いても見えない事が多かったですし、奥の部屋に居たり見回りに出ていたりしたので、昨日も同様だったのではないかと思います。

 

改修前と改修後(?)の外観は全く変わらず、手入れされた様子も見えないのですが、もしも外から見えない通信設備とかの工事であれば交番を閉鎖する必要があったのでしょうか

まあ、閉鎖期間中に事故や災害などが無かったのが幸いでしたが、1ヶ月も交番を閉鎖するからには大規模にリニューアルされるのかと楽しみにしていたのに、何だか騙されたような気分です

 

2017年3月19日(日曜日)

ライフラインを復旧した人たち

昨日、ほぼ日に載っているいろいろな記事を読むうちに、次の記事に目が留まりました。

ライフライン。 あのときの水道、電気、ガスを復旧した人たち。

 

当たり前だけれど、ふだん意識していないこと。
直ったものは、誰かが直したから、直ったのだ。

という読み始めの文面にハッとさせられて、一気に読んでしまいました。

 

なぜハッとしたかと言いますと、6年前の3月11日、私の住む地域では地震発生直後から停電になり、復旧は夜の10時近かったのですが、なかなか復旧しないことに苛立ちを感じたことを思い出したためです。

当たり前ですが、誰かが直してくれたから復旧したのですよね。

当時の私は自分のことしか考えていなかったことを思い出し、上記事を読みながら恥ずかしくなってしまいました。

そして、休まず作業してくださった方たちに感謝の思いが湧いてきました。

 

中でも東京電力の方たち、被災現場で復旧作業に携わってくださった方たちは全く悪くないのに

やっぱり、世間の風当たりが強くて、心のバランスを取ろうと必死でしたね。
原発の事故がありましたから、現場で工事をしている最中にもかなり辛辣なことを言われました。

というような状況だったとのことを知り、今さらですが胸が詰まるような思いがしています。

 

そして、次の言葉が心に残りました。

6年前、たくさんの方に来ていただいたとき、きちんとお礼が言えてたかなあ、って思うんです。
絶対に自分たちだけでは直せなかったので、ほんとうにありがたかったんですが、やはり疲れてよく憶えていないということもあって、ちゃんとお礼が言えてたかな、と。
応援の人たちが来ると、朝、一列に並んで、反対側に来てくださった方たちが並んで『ありがとうございます!』という挨拶をして一日の作業をはじめるというのがあるんですが、終わったときとか、現場で、ちゃんとお礼が言えてたかなぁ‥‥。
そういうことがあったので、どこか他の地域で災害があったときは、あのときの恩返しをめいっぱいしたいなという気持ちがすごくあります

 

震災時、私は自分と家族のことで頭がいっぱいになっていましたが、記事を読んでライフラインの復旧に尽力してくださった方たちの思いを初めて知りました。

「ありがとうございました」、と今からでも言いたい気持ちになっています。

 


カレンダー
2017年6月
« 5月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  
メインメニュー
アーカイブ
ブログ内検索
人気記事リスト
サイト内検索
ブログlinks
Powered by Monosasi Powered by XOOPS Cube 2.2 © 2001-2010 XOOPS Cube Project