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  カテゴリー ‘地震’ のアーカイブ

2019年4月21日(日曜日)

10年前の切手で身元判明

昨日、次の記事を読みました。

「親戚では」 10年前の切手にDNA、遺体の身元判明

 

記事の冒頭に次が記されていました。

宮城県警は19日、東日本大震災の後に同県石巻市の海上で見つかった遺体の身元が、同県女川町女川浜の平塚真澄さん(当時60)と判明したと発表した。平塚さんが生前に出した手紙の切手についていた唾液(だえき)と、遺体のDNA型が合致した。

 

また、次がありました。

2009年5月の消印があった封筒に貼られた切手から平塚さんの唾液を採取。遺体のDNA型と合致したため、身元の確認ができたという。

 

震災から8年が過ぎましたが、記事にもまだ9体の身元不明遺体が残っていると記されていました。

記事を読み、10年前の切手から身元が判明したことに驚くとともに、他の身元不明遺体の身元が判明することを祈らずにはいられませんでした。

 

2019年3月11日(月曜日)

あの日から8年

東日本大震災から8年目の今日を、皆さまはどのような思いを持って迎えていらっしゃるでしょうか。

 

私自身は被災者ではないですが、あの日のことは絶対に忘れてはならないと思い続けています。

 

震災から8年目の3月11日が近づくにつれて様々な報道を目にしましたが、その中でも次の記事が私の心に深く残りました。

原発周辺、半数以上「帰還せず」

東京電力福島第1原発事故で避難指示が出た双葉、浪江、富岡3町で、40代以下の住民の半数以上が帰還しない意向を示していることが復興庁などの調査で9日、分かった。働き盛りの世代が戻らなければ地域の復興に大きな影響が出るとみられ、各町は生活環境の整備を進めている。だが、避難先で生活基盤を固めた世帯も多く、呼び戻すのは容易ではなさそうだ。

2017年に避難指示が一部解除された富岡町、浪江町は傾向が似ており、20代以下、30代では「帰還しない」が60%を超えた。第1原発が立地し全域避難が続く双葉町では年代を問わず「帰還しない」が多く、全体で61.5%だった。

 

震災があって、それまでとは全く異なった生活環境を強いられた方が多くいらっしゃいます。

そして、8年。

生活の基盤が変わってしまった方々も多くいらっしゃることでしょう。

 

被災県の中でも、原発事故にあった福島県が抱えるのは重い問題だと思います。

 

平成31年3月8日付けの警視庁広報資料には、震災によって亡くなられた方々は15897人、未だに行方不明の方々が2533人と記されていました。

 

震災によって、私にはいくつかの気づきがありました。

8年目の3月11日の今日は、それらに思いを馳せながら過ごすつもりです。

 

2019年3月8日(金曜日)

福島のDASH村

今年も3月11日が近づいてきましたね。

「もう8年」、「まだ8年」、人それぞれ違った思いを持って8年目の3月11日を迎えるのではないかと思います。

 

昨日、次の記事が目に留まりました。

DASH村の今「思いかけ離れていく」提供者の叫び

 

記事の冒頭に次が記されていました。

平成23年(2011)3月11日に発生した東日本大震災、福島第1原発事故から間もなく8年。復興は進んでいるが、福島には今なお名古屋市とほぼ同じ面積、337平方キロもの帰還困難区域が広がる。人気テレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」から生まれたDASH村も浪江町の帰還困難区域にある。土地を提供した三瓶宝次さん(82)、漬物名人で「お母さん」として登場した孝子さん(82)夫妻を訪ねた。

 

日曜夜7時の「ザ!鉄腕!DASH!!」をほぼ欠かさず見ている私は、記事が気になって読み進みました。

そして、DASH村の土地提供者である三瓶さん夫妻が、今も定期的にDASH村を見回ってくださっていることを知りました。

 

記事に次が記されていました。

17年12月、(浪江町)津島支所を中心とした国道沿いの約4キロ、137ヘクタールが特定復興再生拠点に指定された。23年3月の避難指示解除を目指し、除染とインフラ整備が進められている。しかし、DASH村など国道から離れた地域は外れた。宝次さんは「一部に復興拠点ができても津島全体を再生するのは不可能。範囲を拡大して10年以内に津島全体の除染を終えるようにしないと、地域が消滅してしまう」と訴え、町に要望書を出した。

 

記事を読みながら、私は胸が詰まるような思いを感じ、「ザ!鉄腕!DASH!!」で放送された震災前の明雄さんとTOKIOのメンバーの場面を思い出しました。

震災があって、明雄さんも亡くなり、8年が経とうとしている今でも浪江町のDASH村は帰宅困難地域のままなのですね。

 

記事の最後に記された三瓶宝次さんの次の言葉が重く心に残りました。

「みんな分散して生活圏が破壊されました。東京の人たちの感覚と被災地の人の思いは時間がたてばたつほど、かけ離れていきます。忘れられてしまうんだろうな」

 

2019年1月18日(金曜日)

24年前の1月17日

昨日は、阪神・淡路大震災から24年目に当たる1月17日でしたね。

 

震災から24年目のことは多くのメディアに取り上げられていましたが、私は次の記事に載せられていた動画に見入ってしまいました。

【映像】24年前、災害現場で患者を「選別」する医師の苦悩…日本で最初のトリアージの映像が残す教訓

 

記事には次のように記されていました。

1995年1月17日午前7時頃
阪神・淡路大震災直後の県立淡路病院の映像です。
医師が自ら回したカメラには、情報がない中、混乱する現場の様子が映し出されていました。

 

動画はトリアージに焦点を当て、阪神・淡路大震災において日本で初めて行われたトリアージ現場にいた医師の苦悩とその後を取り上げていました。

 

記事の最後には、動画に登場している水谷医師の次の言葉が載っていました。

「知らない世代に一番伝えたいことは本当に災害だけはいつくるかわからない。備えていて、突然何も知らないひとが災害医療なんてできるはずがないんですよ。必要最低限災害医療はこんなものですよというのは学校教育を含めて知っとかないといけないと思っていますし、願っています」

 

いろいろなことを考えさせられた動画でした。

 

2018年10月1日(月曜日)

マンホールトイレ

次の記事はだいぶ前にブックマークした物ですが、その際にサッと読んでそのままになっていたのを、昨日、急に気になって読み返しました。

大災害でトイレ使えず・・・そこで頼れる意外なもの

 

冒頭に次が記されています。

地震などの大災害に備え、食料の備蓄や防災用品の収集に精を出す人はいるが、トイレの心配をする人はあまり多くない。震災後の避難所などでは、実はトイレの確保が重要な問題となる。そこで使えるのが身近なマンホールだ。便座や囲いなど専用の器材を使えば、トイレに早変わりする。ただ、普及は道半ばで、実際に使われた事例もまだ少ない。

 

記事の中ほどに次が記されていました。

東日本大震災でも多くの避難所に仮設トイレが設置されたが、避難所に行き渡るのに4日以上かかった自治体が全体の66%を占め、最も長かった自治体では65日を要した。仮設トイレが来るまでの間、地面に穴を掘ってトイレ代わりに使う例もあったという。

 

65日とは、その状況に置かれた方々のことを察するだけで心が痛む思いです

 

仮設トイレの設置にそれほどの時間がかかるなら、設置が簡単なマンホールトイレの利便性をもっと広めるべきと思いましたが、記事にも記されているように問題もあるようです。

下水道のマンホールの穴は通常、直径が60センチほどあるため、そのままトイレ用の穴として使うことは推奨されていない。歩道にあることが多く、仮設とはいえトイレを置くことが難しい場所も多い。

 

そうですよね、私は歩道にあるマンホールしか知りません

 

我が家では娘が災害時用のトイレセット(ビニールと凝固剤のセット)を購入し、その半分を我が家用に置いてあるため、トイレが使えなくなったらそれを使うつもりですが、記事を読み返したことで、災害時のトイレ対策の重要性を再考させられた思いがしました。

記事は次の文面で終わっています。

災害時の備え、中でもトイレの重要性は普段、なかなか意識できない。だが、トイレの確保こそ災害復旧、生活再建への第一歩でもある。汚い話はしにくいものだが、災害時にトイレをどうするのか、われわれ自身ももっと考えておく必要があるのだろう。

 


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