老衰が増えることの意味

次の記事は偶然に目に入ったのですが、老衰による死に思うところがある私は関心を持って読みました。

「老衰」が増えることの意味、医師は自然な死を知らない

 

以前の投稿に書きましたが、私の母は老衰で亡くなりました。

 

その投稿に、私は次のように書きました。

水分摂取もできなくなって亡くなるまで数週間、もちろん点滴もしませんから、日に日に痩せていく母を看るのは辛かったです。
医師からは「本人は苦しくないので」と言われましたが、点滴などの延命治療も断ったことを自身に問い続ける日々でした。

亡くなった時は元気なころの母の面影が全く無くて、痩せて別人のようでした。
私は別人のように痩せた母の顔を見て、それまで思っていた老衰とはあまりにも違う印象を受けました。

 

上記事には、老衰について次のように記されています。

「老衰」とはなんでしょうか?
多くの人が思っているように、ひと言で言えば「自然死」です。具体的に言えば、加齢によって身体機能が低下して死を迎えることです。

 

そして、「老衰」は理想に近い死と書かれていました。

大きな病気をせずに過ごしていた90歳以上の方が亡くなった場合、最近の医師はみな「老衰」と書くようになりました。私の知る限り、みな比較的穏やかな死で、大往生と呼べるケースも珍しくありません。延命治療による苦しみを味わうこともない、理想に近い死と言えます。

 

母がやせ細って老衰で亡くなってからは、私は延命治療を断ったことが果して母にとって最善だったのかと自問する日々が続きました。

 

今でもその結論は出ていませんが、母が穏やかに亡くなったことを思うと私たち(子供として)の判断は間違っていなかったのだろうと、亡くなって5年目にしてやっと思えるようになりました。

 

記事の最後に次の文面がありましたが、記事を読み、母の死からずっと自問していた「老衰」という死に方について、自分なりに受け入れつつあることを気づかせてくれた記事でした。

実は、病院に勤める医師は末期がんや脳疾患などで死んでいく人ばかり見ているので、自然に死んでいくことに関しては経験や知識もありません。多くの医師は老衰のような自然死について無知といっていいのです。どうすれば自然な死が迎えられるのか。医師はそこにもっと目を向けていくべきだと感じます。

 

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