変わりない日常があること

年齢と共に以前は何とも思わなかったことが負担に思えたり、面倒に感じることが多くなった気がします。

これも老化現象の一つだと思うのですが、これからますます面倒に思うことが増えてくるのだろうと思うと憂鬱な気分になっていました。

そのような日常だった先週の土曜日、その日は主人の75歳の誕生日の翌日だったのですが、いつものように私が早朝のPC作業を終えて主人が寝ている階に上がると廊下に主人が横たわっていました。

私が呼びかけると鈍く反応があり、ろれつが回らないような話し方で「俺の右手はどこだ?」と言ったのです。

私は一瞬、脳梗塞が頭を過りました。

でも、足は両足とも動かせたので頸椎に何かあったのかとも思ったのですが、状況から判断して救急車を呼ぶべきかと思い「救急車呼ぶ?」というと主人がかすかにうなずきました。

その時の私は頭が混乱していて、救急車を呼ぶなら健康保険証やたくさんの薬を飲んでいる主人だからお薬手帳も持たなくてはという方が先行していたのですが、その日に仕事が休みだった義理の息子に連絡すると「それは後でも良いから先に救急車を呼んでください」と言われ、慌てて救急車を呼びました。

間もなく救急車が到着し、主人は頸を固定されてストレッチャーに乗せられて運ばれ、私も付き添いとして救急車に乗り込みました。

救急隊の方たちも脳か頸椎の問題ではないかと判断したようで、その対応ができる受入れ病院を探しているのが電話越しにわかりました。

受け入れ病院が決まり、病院に着いて主人が様々な検査を受けている間、私は待合室で待っていたのですが、義理の息子が駆けつけてくれて一緒に待ってくれたのが心強かったです。

救急隊の方たちも緊急手術の可能性があることを話していたため、検査が終わって医師から呼ばれた時にはひどく緊張したのですが、医師は「脳の異常も骨折もなく、元々あった頸椎ヘルニアが悪化したための右肩から右腕右手のしびれが強くなっている」とのことで「今日は帰宅となります」と言われた時には「エッ」と思って一緒に説明を聞いていた義理の息子に「帰宅?」と聞き返してしまいました。

主人は脳が原因で倒れたのではなく、廊下で滑って右肩から倒れ落ちたための打撲だったのです。

私事を長々と申しわけございません。

大柄な主人ですので打撲の症状もひどく、眠りが妨げられるほど右肩が痛いようですし、右手はお箸を持てないほどしびれていて、倒れる際に左足先を捻ったことによる腫れと傷みもあり、本人は日常とは違った生活を強いられているのですが、私は以前と変わらない日常生活が送れることが涙が出るほどうれしく感じます。

そして、あの日以来、面倒なことがあるのは生きているからだと思うようになり、面倒が苦痛に感じなくなりました。

それにしても、あの状況が打撲だったとは、と今でも思います

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