偶然に目に留まって読んだ記事ですが、ハッとさせられた内容でした。
記事に登場する達也君(仮名)は地元の進学校の高校に入学しましたが、学校で友達ができずに夏休み明けから学校を休むようになりました。
そして精神科医である筆者のクリニックを受診したそうです。
通院が始まってからも不登校が続いていたそうですが、たまたま登校した日に副担任の先生から「昼休みに一緒にお弁当を食べよう」と誘われたのをきっかけに達也君は投稿を続けるようになったことが書かれていました。
記事には次の文面がありました。
お弁当を食べながら、達也君は、オンラインゲームの話を副担任の先生にしています。副担任の先生はゲームのことは全くわからず、話についていけませんでした。達也君は、ゲームの基本的なことから、一つ一つ先生に教えてあげました。
私は読みながら、胸が熱くなる思いを感じました。
それまで一人で食べていたであろうお弁当を、楽しそうにゲームの話をしながら食べる様子が目に浮かぶようでした。
高校卒業後の診察時に達也君が言った次の言葉が心に残りました。そして、卒業までお弁当を付き合った副担任の先生には、頭が下がる思いがしました。
先生とお弁当を食べた時間が、一番楽しい思い出です。先生はゲームのことを知らないのに、僕の話に付き合ってくれていました。親や弟でも自分の話を聞いてくれなかったのに、先生はいつも真剣に聞いてくれました。副担任の先生と一緒にいるうちに、なんだか元気が湧いてきて、がんばろうという気持ちになったんです。
記事の筆者は次の文面で記事を終えていました。
私たち大人が子どもたちの「味方」になるには、まず、子どもたちに対する「見方」を変えること、ということでしょうか。
私は、上記の「味方」になるには「見方」を変えるという言葉にハッとせられたのです。
私は以前、孫に「何か困ったことがあったらおばあちゃんに話しなさい。味方になってあげるからね」と言ったことがありました。
ところが、その後、何度か「おばあちゃんには内緒」で母親に話したケースがあり、理由がわからずにいたのですが、今回の記事を読んで理由がわかりました。
まさに、「味方」になるには「味方」を変えることだと痛感させられた思いがしています。