次の記事を読みました。
私は上記事を読み、「給食残してごめんなさい」と言わせる状況に胸が苦しくなる思いを感じましたし、今はそのような保育園が存在しないことを祈らずにはいられませんでした。
記事に登場するのは21歳の大学生で、その保育園時代と今は状況は変化していると思いますが、私の上の孫は保育園、幼稚園、そして現在在学中の小学校も給食、下の孫は幼稚園年長ですが、保育園の時も今も給食で、二人とも給食の完食を強いられることなく、嫌いなものは残しているようです。
二人とも事前に母親から献立を聞いたりして、自分の好きな給食の日は前日から楽しみにしています。
そのような孫達を見ているため、記事のように完食できなくて皆の前で公開処刑のように「ごめんなさい」と言わせたような園に対して憤りさえ感じました。
記事に登場する大学生は、皆の前で「ごめんなさい」と謝らなければならなかったことがきっかけで会食恐怖症になってしまったそうです。
いつもご飯を残してしまってごめんなさい。明日からはちゃんと食べます」。友人の視線を浴びながら、涙ながらに発した言葉を今も鮮明に覚えている。この日以来、家族以外の誰かと食事をするのが怖くなった。
記事には、彼女が大学生になってから転機が訪れたことが書かれていました。
転機は2021年、進学した大学で訪れた。精神福祉の講義で「好きなことや悩み事を何でもいいので書いて」との課題に、会食恐怖症の悩みについて記した。 すると、男性教員から思いもしない答えが返ってきた。「社会に適応する必要なんて全くないと思う。会食で食事を残している人は結構いて、それは普通のことではないですか」
記事の最後に次の文面がありました。
桜子さんは今、初対面の人とも食事を楽しみ、学業の合間に友人とするカフェ巡りが大好きになった。自身の体験を生かし、社会福祉の仕事に就く将来を見据えて大学院進学を目指している。「自分が『当たり前』から外れていると思っても、世界の見方を変えてくれる大人たちはきっといる」。今も苦しむ子どもたちにそうエールを送った。
会食恐怖症は社会不安症という心の病気の一つですが、経験のない人には「そんなことで」と思われることに恐怖を感じてしまう病気であり、外見からはわかりにくいため、周囲が何らかのSOSを感じた際には温かく見守ることが大切だと記事を読んで思いました。