偶然に目に留まって読みましたが、深く考えさせられた記事でした。
記事の冒頭に次が書かれていました。
女子トイレでのある機転をきかせた行動をめぐりSNS上で賛否の声が巻き起こっている。
Twitter投稿者のやきとりいさんは、トイレの順番待ちをしている人達に「すみません子ども先に行かせて大丈夫ですか?」と声をかけて3歳くらいの女の子を先にトイレに行かせてあげたそうです。
それをTwitterに投稿したところ、称賛・共感の声があがる一方、批判的な意見も多く上がったと書かれていました。
私の場合、泌尿器がまだ未熟な3歳児がおしっこの我慢が難しいこともわかるのですが、トイレに並んでいる人達の状況はそれぞれだと思うため、私がそこに居合わせたとしてもやきとりいさんのような声かけはできないと思います。
そう思いながら読み進んだのですが、記事の筆者がSNSに寄せられた意見に対してどう思うかをやきとりいさんに尋ねた際のやきとりいさんの言葉に深く考えさせられました。
わたしたちはいつ、今にも漏らしそうな自分や連れを抱えてトイレの列に並ぶか分かりません。その列の、最前列にいるのか最後尾につくのかも分かりません。誰もができるだけ漏らさずにいられる社会、それは「先に行かせてください」と「無理です」が言える社会だと思います。「そんなこと言われたら譲らざるを得ない、許せない」とTwitterに百も反応がくるとき、それは今がそういう社会でないという悲鳴であり、その悲鳴によってさらに「言えない」呪いが加速する社会であると言えます。
記事の筆者は次の文面で記事を終えていましたが、「互いの利益の調整ができ、その結果、弱者への善意が否定されない社会」の実現を私も願わずにはいられませんでした。
読者のみなさんはやきとりいさんの行動についてどう感じるだろうか?人はそれぞれに自分の尺度、価値観を持っていて当然だが、ただそれを振りかざすだけではいけない。他者とコミュニケーションをとることができ、互いの利益の調整ができ、その結果、弱者への善意が否定されない社会が実現できれば良いのだが。