私も闘病中に脱毛の経験があるため、次の記事から当時の辛かった気持ちを思い出しました。
記事の中ほどに次の文面がありましたが、まさに私も「ずれているんじゃないか。病気のことが知られてしまうのではないか」という思いが常にありました。
ただ、どんなにアピアランスに対するケアを工夫しても、「今までの自分とは違う」「隠さなければいけないものがある」ということ自体が負担になる方もいます。ウィッグの装着も楽なものではなく、「暑い季節などはむれてうっとうしいし、ずれているんじゃないかといつも気になってしまう」という声もよく聞きます。がんであることを周囲に伝えていない方にとっては、病気のことがばれてしまうのではないかという心配も重なります。
当時の私は、通院時等にはウィッグの上に帽子をかぶり顏が隠れるくらいのマスクをして外出していましたから、なさらのこと目立っていただろうと今は思っています。
記事には次の文面もありましたが、私も同様のことを当時は感じていました。
日本では、がんという病気を特別視する風潮があり、過剰なイメージがつきまとい、時に差別されてしまうという悲しい現実もあります。
上記文面には次が続いていますが、病状の変化によって精神的にも追い詰められていた私は気遣って声をかけてくれる周囲にも過敏になっていました。
がんであることが自然に受け止められ、アピアランスの変化があっても、自然に接してもらえるような社会であれば、がん患者はもっと過ごしやすくなるのでしょうが、これは、アピアランスケアにとどまらない重要な課題ですので、社会全体で考えていく必要があります。
記事には脱毛を防ぐための方法も確立しつつあることが書かれていましたので、それについては更なる研究を望むとともに、私はがんという病気が無くなるとは思えないため、患者さんを特別視せずに接し見守る社会になってほしいと強く思いました。