3・11から11年

明日の3月11日で、東日本大震災から11年ですね。

今日は次の記事が目に留まり、読みながら思うところが多々ありました。

<社説>3・11から11年 避難者の人権は画餅か:東京新聞 TOKYO Web
ロシアがウクライナに侵攻し、多くの避難民が出ているというニュースは、根本久美子さん(44)=写真=にとって人ごとではありません。「自分...

記事に次が書かれていました。

福島県によると、原発避難者はピーク時に県内外で約十六万四千人いましたが、今年三月時点では約三万三千人です。新潟県への避難者も約七千人から約二千人に減りました。

原発のために避難した方々は、ピーク時の約164000人から減ったとは言っても今年3月時点で約33000人いらっしゃるのですね。

次の文面には、胸が苦しくなる思いを感じました。

原発事故がなければ苦労することもなかった自主避難者に、日本社会は冷淡です。「勝手に避難した。困窮は自己責任」「いやなら福島に帰れ」。心ない言葉がネット上にあふれます。

避難者を支援する団体「スマイルサポート新潟」を立ち上げた根本久美子さんという方が記事に登場しますが、根本さんはロシアの侵攻から逃れるために避難しているウクライナの避難民を他人事とは思えず、理不尽さが福島の人々と重なると記事に書かれていました。

「自分ではどうしようもない大きな力に巻き込まれ、この戦争がいつ終わるとも、いつ故郷に帰れるとも分からない」

記事には、原発による自主避難者を顧みない政府の姿勢についても書かれています。

原発事故の翌一二年には、当時野党だった自民党も含む全会一致で「子ども・被災者支援法」が成立します。無用な被ばくを免れる「避難する権利」が明記された画期的な法律でしたが、政府は限られた支援策しか基本方針に盛り込まず、同法は骨抜きにされます。逃げる権利を担保する仕組みもつくられず、放置されたままです。

公的支援もなく政府から放置されたままの原発自主避難の方たちに、明るい希望が持てる日が来ることを祈らずにはいられません。

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